「花」アートワーク
2009年春、僕たちは湖南省HEKU村にて、アートワークを行った。
今までキャンプで行ってきたワークと言えば、水道整備などのインフラ整備が主だった。2008年の夏キャンプで、HEKU村の各家庭の前には蛇口が取り付けられて、今までみたいに水の入った重いバケツを担いで細い道を何度も往復するようなことはなくなった。明らかに、村人の生活環境は今までと比べて格段によくなったはず。
そう思っていた。
2009年の年明け、なっちゃん(増本夏美)が一年ぶりにHEKU村を訪れた。そこで彼女が村人から聞いたのは、「ここHEKU村でキャンプが行われるようになったけど、何も変わったことはない。」ということだった。
僕らは毎年2回、HEKU村でキャンプを行ってきた。
でもそれはほんの1週間や2週間という短い期間であり、僕らキャンパーが帰った後は、村人はまた普段の生活へと戻っていく。僕らは彼ら村人の普段の生活を知らない。
今まで見てきたのは、キャンパーたちを迎えてくれる村人の笑顔、そして僕らを見送る寂しそうな顔だけだった。
村には村の問題があり、それぞれの家庭にはそれぞれの問題がある。その中の問題が原因となって、一時期僕らの作った水道が使われていないという話も聞いた。何か、くやしかった。やっぱりどれだけ生活環境が良くなっても、根本的には変わっていない。彼らが差別を受け、今も不便な山奥に住んでいるということ。
水道が完成したけど、それで一番満足してたのはキャンパーたちだっかのかもしれない。
「アートワーク」のきっかけ
2009年1月半ば、春キャンプのミーティングを行った。春キャンプは日本人主体で人数も少ないし、近くのGangziping小学校でのアクティビティもあったので、HEKU村では大掛かりなワークはできない。小学校では、みんなで絵を描いたり語劇などと多くの案が出てきてたが、やっぱりHEKU村で何をしたらいいか分からなかった。僕らに何ができるのか。
そんな時に思いついたのは、小学校で行う予定だった絵を描くというのは、村でのワークとしてもできるのではないか。大きな布を持って行って、村人全員で好きな絵や字をかく。アートワークの始まりだった。
村人は差別を受け、隔離されて生活してきた。彼らは普段絵を描いたりするような機会はないんじゃないか。日本では今でこそ、手の不自由な人の描いた絵などが知られてるけど、そもそも彼らが芸術というものに触れることもなかったんではないか。
芸術やアートを通して一つになる。絵を描くのは、言葉が通じなくてもなんとかなる。大きな布に村人全員の絵を描くことで、みんなが同じ場を共有し、みんなで作り上げる。一つになる。インフラ整備みたいに便利なものができるわけじゃないけど、これで差別がなくなるわけじゃないけど、このワークで、もう一度村人同士、村人とキャンパーとが一つになればいい。そう思った。
そして出来上がった絵を日本に持って帰り、愛生園に持っていく。愛生園でも同じように絵を描いてもらい、それをまたHEKU村に持っていく。毎年キャンプに参加できる人は限られているけど、絵の交流を通して、もっと広くHEKU村を繋ぐことができる。村人が描いた絵に、日本から絵の返事が返ってくる。またその返事がHEKU村から日本へ。絵によっての村人の夢の表現。文通ならぬ、絵通。結ぶ。アジアを結ぶ。
試行錯誤のアート
村での活動は簡単にはいかなかった。まず絵を描くなんてことが初めてだったりするから、なかなか描いてくれない。「絵を描こう」って中国語も分からない。試行錯誤。
それでも、何日も通い詰めて、自分から描いてみたりするうちにそのうちに彼らも筆を持ってくれた。絵がだんだん出来始めてきた。
梅花おばあちゃんというおれの大好きなおばあちゃんがいる。小柄なのに人一倍ご飯を食べ、よく笑う。おれが聞き取れないのを分かってるけど、いろいろ話しかけてくれる。おばあちゃんは手が変形してしまってて、上手く筆を持てないからか、なかなか描いてくれようとはしなかった。何とか持たせようとしてもいつも笑ってごまかされた。でもおばあちゃんはそんな手でも、うまいこと火ばさみを使って火に薪をくべていた。小さな両手でしっかりと握り、器用に薪を挟んでいる。
おれは急いで隣の部屋からトイレットペーパーをちぎって丸め、それを火ばさみの先に挟んでゴムで縛り付けた。絵具を先のトイレットペーパーに染み込ませて、おばあちゃんに渡した。恥ずかしがりながらもおばあちゃんはそれを持ってくれた。
布に描いてと頼むと、今までとは打って変わって真剣に絵を描きだした。
絵具がなかなか布に染み込まない分、力強く何度も何度も押し当てて描いていた。
感動とか、いろんな感情がごちゃごちゃになって泣きそうになった。その間も、隣でおばあちゃんはずっと描き続けていた。
2つの絵
最後の日のお別れパーティー。僕らはキャンプで2種類の絵を作ってもらった。
一つは小さい布に描いてもらった絵で、村人それぞれの家に飾る用。
もう一つは大きな布で、村人全員の絵が描かれている。その絵はこの後、愛生園へとつながっていく。
夜遅くまで、みんなで火を囲み、このキャンプで作り上げた絵を眺めながらずっと騒いでいた。これでまた僕らは帰って行ってしまう。それはどうしようもないことで、また会えるって分かっててもどうしても別れは辛かった。でも僕らは気持だけじゃなくて、みんなが描いてくれた絵で日本でいる間もずっと彼らを感じることができる。
今回のワークでは、村人の夢を描いてもらうというところまではいけなかったけど、これで彼らの普段の生活に新たに絵という楽しみができればいい。絵を描いたりしなくても、キャンプ中に描いた絵を見て、いろいろと思い出してほしい。そして、みんなの描いた絵の返事を待っていてほしい。中国の遠く離れたHEKUという村にこの絵を描いたおじいちゃんおばあちゃんが住んでいることへの返事。
「花」
村人の絵はどれもが個性的だった。風景を描いたり、やぎを描いたり、名前を書いてくれたり。梅花おばあちゃんの絵はとてもカラフルで、でも何の絵なのかはっきりは分からなかったので、何の絵なのか最後に聞いてみた。
梅花おばあちゃんは、「これは花だよ。」 鮮やかで力強い花だった。

関西委員会 高島雄太
脚注
HEKU村:中国湖南省にあるハンセン病回復村。かつてハンセン病を患った人々が生活する外界から隔離された村。現在村には約15名が住んでいる。FIWC関西委員会はそこで2007年よりワークキャンプ活動を行っている。
村のインフラ整備は非常に悪く、水道がなかった。2007年夏から私達は水道を設置した。
村人の中にはハンセン病の後遺症がひどく、手足を失っていたり不自由だったりする。目の悪い人もいる。
愛生園:日本のハンセン病療養所の一つ。

